聞いたCDや読んだ本の履歴。そして日々思うこと。
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お金がヤバイ・・・。
21日まで後3,000円しかないのです。
いやぁ、どうしたものか・・・。
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何日か前から、重松清の「世紀末の隣人」
を読んでいるわけですが、
今日、電車の中で読んでいたところはなかなか興味深いものでした。
「『街は、今すぐ劇場になりたがっている』と寺山修司は言った」
という題で、ある意味では「少年A、この子を生んで」にも
通ずるところがありました。
つまり、何らかの事件の起こった地域というものが、
どんな風になるのか、という事を見ているのです。
例えば取材陣の執拗なやり方にノイローゼになる人がいたり、
色々な風評なんかの迷惑を被ったりして、
生活はガラッと変わってしまう。
しかもそれが数ヶ月とかそういうスパンではなく、
数年、尾を引いたりします。
しかし、それだからといって
とりあえずメディアを批判すりゃいいわけでもなく、
本文中にも書いてありますが、
彼らのしつこさの源にあるのは、
それを媒体として情報を得ている視聴者であり、
事件のほんの少し前までのその地域の人たちの
ような存在だったりするわけです。
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・・・やはり、なんだかんだで何事も、
プラマイ0って事の方が多くて、
メディアでみんなに知らせるからこそ防げる犯罪もあれば、
模倣犯とかのように、メディアから発想をもらって、
助長される犯罪もあったりするのが現実でしょう。
それは俺のやっている音楽だって、
やりたいと思っているカウンセラーだっておんなじだと思うのです。
例えば俺はベンジーの歌詞が好きですが、
それでプラスの活力を生んでいるときもあれば、
逃げを正当化するための言い訳に使っているかもしれません。
また、俺の内部に限らず、仮に俺がプラスに使っていても、
他の人は言い訳に利用しているだけかもしれません。
カウンセラーなんかも分かりやすいと思うのです。
結果的に「良い方向に進めました」みたいになるならいいですが、
なんの助けにもなれずただ、
「自分はカウンセリングを受けなきゃいけない人間なんだ」
という不合理だとしても現実には起こりうるであろう
劣等意識を植えつけるだけで終わるかもしれない。
「結局カウンセラーなんて嘘っぱちの夢想家野郎」
と思わせるだけで終わるかもしれないのです。
まぁ、今の俺の段階では、「だからこうだ」という結論を
スラッという事は出来ませんが、
「やはり最終的には、自分がそれをやりたいのか」とか
そういった話になるんだろうな、と思うのです。
そうして俺に出来る一番のことは、
自分のやろうと思ったことをやる中で、
少しでもそれがプラスに働く面を増やす努力をする、っていう、
そういうことなのかもしれないな、と今は思うわけなのです。
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