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聞いたCDや読んだ本の履歴。そして日々思うこと。
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菅野先生の「いじめ」という本を読んでいて、
いじめとはほとんど関係ない所で凄く印象に残ったところがあります。

 菅野先生が中学3年だった頃、クラスは就職組と、進学組で2分されてきて、
先生たちも、進学する生徒たち中心に授業をするようになっていた頃の話です。
 ある日、菅野先生や何人かの、
進学組で成績の良い生徒がとある英語教師に呼ばれて、
「俺はこれから○○とか(就職組と成績の悪い何人かの名前を挙げた)、あいつらに、中学2年までの英語を教えるから、お前らはあと、自分でやれな」
と言われたそうです。

その時、不平をいうものは誰もおらず、
「学校教育に理解があり、経済的余裕のある人間だけが進学できる事に、
そして自分がただそれを甘受するだけの存在であることに
どうしようもないいらだちを抱きながら受験に向かっていた」菅野先生は、
その言葉に救われたような気がしたそうです。

 このいらだちの感覚、自分が感じていたものと同じだ、と思いました。
周りの、成績のいいやつらが、
成績も振るわず、問題を起こしたりしている同期に対して、
苦言を呈しているのを聞いた時など、
自分もよくこの感覚に襲われていました。
 それこそ今でも、ブラウン管の向こうに映る凶悪犯を、
他人事のようにののしる親族や友人を見ていると、
似たような感覚を覚える事があります。

 たまたま自分は、受験期にお世話になった学校と、
ひいては現行の教育システムにそれほど違和感なく馴染め、
それありきで自分も頑張ったから、
成績もある程度とれ、特に先生たちといがみ合う事もなくやっていました。
 そしてまた、自分はたまたま、平凡な家庭のなかで育ち、
当たり障りのない行為に快楽を得られる感性が育まれたし、
特に自暴自棄になるような不幸や人生の障害に見舞われたわけでもないので、
目に見えるような犯罪は何も起こさずにきました。

 ちょっと話は変わって、
昔はあれもこれもなかったから、我慢我慢だった、
というよく聞く話。
自分もこの話を聞かされて育ちました。
それこそ、「じゃぁやっぱり、そういうのなしに育った自分らは我慢もなくて、
弱い、駄目な世代なんだな」と悩んだ時期もありました。
 しかし、一つ違和感を感じていました。
つまり、確かにそれらの我慢の苦しみを乗り越えてきたことは、
我々の想像も及ばぬほど、尊敬に値するものだと思っています。
その点では今はぬるま湯である事も認めます。
ただ、目の前に、簡単に手に入る物として誘因が吊下げられていながら、
それでもそれを積極的選択として我慢出来るか(将来に予期される苦労を考慮してとかでもなく)という事は、また昔とは違った難しさを内包していると思うのです。

 なんだかまたよく分からなくなってきてしまいました。
何が言いたいか、といわれても、やはりうまくまとめられない。
頭のなかで起こっている様々な議論の途中経過、みたいな感じなんですよね。

 そんな事を思っていたら、久々に↓の動画の事を思い出しました。
以前にもブログに書いた事があるやもしれませんが、
1988年の女子高生コンクリート詰め殺人事件。
それこそ、菅野先生の本にもちらっとだけ出てきました。
彼らも金八先生に憧れていたそうです。

ちなみに、↓のドキュメンタリー(?)は結構キツイので、
見るならある程度覚悟した上で見てください。

といってもまだ導入なので大丈夫だとは思いますが。
ついでに、この事件を元にして作られた映画の方は、
かなりの駄作だったようです。
まぁ、こういう映像を作ること自体に対して、
批判も色々あるやもしれませんが、自分は思うところがあったので。



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